HeartBreakerU  3







そうして沖田は時間を超えてきた。
例え這ってでも別荘に行き、千鶴が変若水を飲むのを阻止しなくてはいけない。
別荘の近くまで歩いてきただけなのに、沖田はすでに肩で息をしていた。視野が極端に狭く視界が何故かセピア色なのは、きっと夜だからではないだろう。寒いのに額には汗が浮かぶ。
別荘に乗り込んで何も知らない千鶴を説得したり、力づくで綱道から変若水を取り上げる余力は、もう沖田にはなかった。もともとそれを予測してライフルを持ってきたのだ。
沖田は窓から室内が見える場所を探して、林の中を歩く。
窓の中の千鶴と綱道は、もう机についていた。綱道がいったんキッチンに退き、手にワインの入ったグラスを持ってきたのを見て、沖田は舌打ちをした。
急がなくては。
ライフルを支える左手が震えているために照準があわせづらく、沖田はライフルを支えられる木の幹を見つけ、邪魔な枝や葉をむしり取り、幹に銃身を乗せる。
まずはワイングラスだ。
つぎに綱道。
沖田はライフルの照準を覗き込み、ゆっくりと息を吐く。心を平らにして、綱道が千鶴にワイングラスを渡したタイミングで、引き金を引いた。
ワイングラスは木端微塵にはじけ、中の赤ワインも飛び散る。
『きゃあ!』という千鶴の声が聞こえたような気がしたその瞬間。
台所から炎が壁のように吹き出した。
「なっ……!?」
驚いた沖田は立ち上がった。ぐらりと揺れた視界に構わず、沖田は別荘に向かうために足を引きずるようにして歩き出した。
激しい破壊音と爆風が別荘を包み、あっというまに炎がすべてを覆った。
「千鶴ちゃん!」
動揺とタイムトラベルの負荷のせいで、思うように足が進まない。とうとう足がもつれて沖田は林の中で膝をついた。
「くそっ!」
一度倒れてしまうと起き上れない。沖田は地面の枯葉を握りしめ、必死に体を起こそうとした。木に腕をかけ、腕の力で体を引き起こそうとして、ガクリと崩れ落ちる。
あの火の勢いでは千鶴は助からないかもしれない。いったいなぜ突然あんな炎が噴き出したのか? 沖田がやってきた二十年後の未来にも、そして千鶴と出会い恋に落ちた半年後の未来にも、千鶴が――『血のマリア』が二十歳の誕生日に火事にあった事実などなかったのに。
しかし今はそんなことを考えている場合ではないのだ。千鶴を助けなくては。
「くそっ!」
自分の体はどうでもいい。今はとにかく動いてくれ。動いて彼女を――あの子を!
沖田がこれまでになく強く、強く願った直後、ざあっと頭の先から白い膜が降りかかるような感覚が襲った。それと同時に沖田を繋ぎ止めていた鎖と重石が鮮やかに取り除かれる感覚。
頭がクリアになり、視界もすっきりとし、三百六十度全方向が把握できるような感覚が沖田を襲う。
体の芯から震えがくるような爽快感と、まるで浮かび上がりそうなくらいの軽い体。
沖田は驚いて瞬きをした。
先程は首をあげるだけで精いっぱいだったのに、今はきょろきょろと辺りを見わたせる。そしてそうして見渡した世界は、これまで見たことのない世界だった。
暗闇なのにもかかわらず、沖田にはくっきりと隅々まで見えた。妙に鋭くなった聴覚で、葉の下に居る小さな虫の動きさえわかる。
「これは……」
沖田が茫然として立ち上がると、自分の目にかかる前髪が視界に入った。

白い……

いや、白というよりは銀色のような色の髪だった。
羅刹に変化したのだ。
昨夜――半年後の昨夜に抱いた千鶴から伝染ったのか。
「……賭けには負けたってことか」
もともと千鶴とした、あの楽しい賭けの勝ち負けなどに左右されるつもりはなかったが。だが今は助かった。
沖田はにやりと笑うと、自分の手を見つめた。
力がみなぎるようだ。
沖田はぐっと拳を握ると、炎に包まれている別荘を見た。早く千鶴を助けなければ。
沖田は地面に落ちていたライフルを掴むと、別荘へと駆けだした。

綱道は最初の爆発にやられたようで、炎の中ですでに死んでいた。
沖田は、千鶴を助け出すと、再び意識を失った彼女を別荘の外に置いてあった車の中に寝かせる。
当たり前だが、半年後の千鶴と全く同じだ。顔の作りも雰囲気も。
先程少しだけ会話をしたが、声も話し方も表情も、何故かとても懐かしい。沖田の中の時間では千鶴と別れたのはほんの少し前のはずなのに。
きっとさっきの会話もこの千鶴は忘れてしまうのだろう。
「……僕を探してね、待ってるから」
タイムトラベルの影響と羅刹の影響。二重苦の自分が、千鶴が探し出してくれた時にどうなっているのかわからないが。
でも彼女を守り、共に生きるために沖田は二十年後の自分の世界を捨てた。そして今彼女を守りきることができた。その後の結果がどうなろうと本望だ。
沖田は青ざめた顔で意識を失って青ざめた彼女の頬に、そっと唇をよせた。
そして最後に愛おしげに彼女の頬を指で辿り、静かに助手席のドアを閉めた。
羅刹の力で立って歩けるのも多分あと少しだろう。残った体力を搾り取って使ったせいで、きっと人間の姿になったときは、前以上にきついに違いない。
できれば食料と水がある屋内で人間に戻りたいが、そんな都合のいい場所がこのあたりにあるだろうか……
沖田が脚を踏み出そうとした時、羅刹の鋭敏な聴覚にカチリという小さな音が響いた。
羅刹でなければ気づけないくらいの小さな金属音。
銃の安全装置を外す音だ。
気づいた瞬間、沖田は車の横から裏の林の中へ飛び込んだ。一瞬遅れて銃声が聞こえ、車のミラーが弾ける。
沖田は木の後ろで体勢を整えると、ライフルに弾が入っていることを確認した。羅刹の感覚を使って張った意識の網の端に、かすかに何かが引っかかる。
「そこか!」
沖田は振り向きざまライフルで撃った。それと同時に打ち返してくる拳銃の弾を避けて横に転がる。
「誰かな? 口がきけないの?」
沖田はもう一度ライフルに弾を装填すると、目を凝らした。まるで暗視スコープで見たように、下草と岩の後ろに隠れた塊が見える。ライフルで撃とうとした瞬間、その人物の顔が見えた。
「!?」
驚いた沖田は、思わず撃つ瞬間に銃口を上にあげてわざと外してしまった。その隙を逃さず、その人物は沖田に向かって銃を数発撃つ。沖田が木の後ろで反撃が出来ずにいる間に、下草や枯れ枝の音とともにその人物は走り去った。
「……今のは……」
沖田は追おうかどうか迷った。
あの時見た顔。遠目で暗闇のせいもあり、一瞬あの子かと――千鶴かと思ってしまった。それぐらい似ていた。
だが、千鶴の筈はない。顔の作りは似ていたが、まとう雰囲気や表情が全く違ったし、良く考えると髪型も体つきも違う。
沖田は構えていたライフルを下した。
体中を、どっと倦怠感が襲う。
タイムトラベル直後のあの痛みがじわじわと押し寄せてくるのを感じて、沖田は先程の男を追うのは諦めた。それよりも早く安全な場所で体を休めなくてはいけない。
別荘の火の勢いはずいぶん弱まっているし、遠くで消防車らしきサイレンの音も聞こえるから千鶴はきっと大丈夫だろう。
それよりもこの時代にいるはずのない自分が、ここで警察に保護される方が面倒だ。先程の千鶴に似た襲撃者もいるし、身を隠さなくては。
沖田は、再びぶり返してきた頭痛と体中の痛みに耐えながら、林の奥に消えた。

ちょうどそのころ、先ほど沖田を襲った男……薫が林の中を走っていた。
別荘を燃やし、綱道をこの手で殺してやる予定だったのに変な男の出現で綱道の死体を確かめることができなかった。背の高い銀髪のその男は、人間離れした動きと力で千鶴のことも助け出してしまった。千鶴の知り合いのような素振りだったが、一体誰だろうか……
自分の顔も見られているし、相手の獲物はライフルで射程距離では明らかにこっちが不利だ。今は逃げるしかない。
薫が枯葉の積もった中を走っていると、何かに躓き派手に転んでしまった。
自分に舌打ちをして、立ち上がろうとした薫は、自分が躓いたものに気が付いた。こんな林の中では妙に異質な、まだ新しい黒い鉄の塊。大きさは携帯電話をもう少し大きくしたぐらいだが、薫が躓いてもびくともしないくらい重い。大きさに対して異常な質量だ。
薫は目の高さにそれを持ち上げてまじまじと見る。
「……これは……?」

 

「綱道も言ってたし顔も似てたし、多分君の双子の兄だろうとは思ってたけどね。でも敵か味方かわからなかった。だから綱道の会社で過去の情報を探っていたけど見事に何も見つけられなかったんだよね」
沖田はそう言うと、透明と言えるくらい薄い緑色になった冷たい瞳で薫を見た。
「君は前の世界の記憶があるんだ? どこまで知ってる?君は……いったいなんなのかな」
薫の返事は、バカにしたように笑みだった。
「質問するのならまず銃を下すのが礼儀だと思わないか?実験動物として生きてきた俺でも知ってる礼儀なのに、未来ではそんなことも教わらないとはね」
「……」
沖田は薫をギラリとにらみつける。
「銃をおろせ」
薫は笑みを消してもう一度そう言うと、千鶴を狙っている自分の銃口を顎でしゃくった。
「……」
沖田は悔しそうに銃を下す。
「沖田さん…!」
薫が楽しそうに笑う。
「そうそう。利口じゃないか、沖田」
薫は、気が緩んだのか千鶴に向けている銃口が少しだけ下がった。その瞬間を逃さず、沖田は左手に持っていた銃を薫に投げつけた。驚いた薫が腕をあげて銃を避けようとする。当然ながら薫の銃口の狙いは千鶴から大きく外れた。
直後に、沖田は右手の銃を構えて薫に狙いを定めた。
しかし次の瞬間、廊下から複数の銃声がして、沖田は銃を弾かれ、床に転がる。
「沖田さん!」
千鶴が悲鳴を上げて沖田に駆け寄ろうとすると、薫は千鶴に「動くな!」と銃を向けて言った。
「……大丈夫だよ、沖田には弾は当たってない。直前に気づいて転がったんだ。その証拠にほら、血は一滴も床にこぼれていないだろう?」
薫に言われて千鶴が入口の方を覗き込むと、確かに血はこぼれておらず、沖田ももう立ち上がろうと膝をついていた。
「沖田さん……よかった……」
千鶴がホッと涙を浮かべてそう言うと、薫は舌打ちをする。
「ったく往生際が悪い男だな。今のに当たって死んでいればよかったのに」
沖田の表情が、ふと真剣なものに変わった。
「……僕は、この子と生きなくちゃいけない。だからここで死ぬわけにはいかない」
薫は鼻で笑い、膝をついている沖田を見下ろした。
「お前の銃は二丁とももう失ったし、廊下で組織のメンバーから狙われている。逃げようにも俺の銃口が千鶴を捕えているから逃げられない。……終わりだよ、沖田。お前はここで死ぬんだ」
沖田は薫が言うように、廊下で自分を狙っている複数の銃口を見た。そして薫を見て、薫の銃口に狙われている千鶴を見る。
「……卑怯な手段だ」
沖田が睨むのを、薫は嘲笑いながら見下ろした。
「なんとでも言えば? お前は僕の手で殺したかったけどね。この状態じゃ廊下にいる組織の奴らに頼むしかないな。ああ、でも目の前でお前が死んでいくのは見られるね。それを見て嘆き悲しむ可愛い妹の姿も」
「薫! やめて!」
千鶴の悲鳴が響いた時、沖田がグッと何かをこらえるような仕草をした。
「何……?」
薫がそうつぶやくのと、沖田が激しく咳き込むのとが同時だった。苦しそうな咳とともに沖田はゲホッと血の塊を吐き出す。
「お、沖田さん!?」
沖田はまだ激しく咳き込んでいる。薫も驚いたようで、銃口は千鶴には向けてはいたが、沖田を注視していた。
「グッ…! ゲホッ! ガハッ!」
再度咳と同時にどす黒い血を吐く。
激しい咳き込みがしばらく続き、ようやく沖田の咳が止まった。

「……なるほどね……」
薫の瞳に浮かんでいるのは、ネコがネズミをいたぶる様な残酷な光。
「……」
沖田は肩で息をして、何も答えない。
「沖田さん……沖田さんどうして……どこか怪我を? 今、撃たれたんですか?」
千鶴は青ざめた顔で沖田を見た。しかし沖田はそれにも答えなかった。薫が代わりに千鶴に答える。
「そうじゃない。沖田はどこも撃たれていないってさっきも言ったろ?」
そして今度は沖田を見て言った。
「……千鶴も知らないんだな?」
沖田は薫をにらみつける。
「何を言っているのかわからないな」
「わかってるはずだよ、前にあの湖の傍であった時にも血を吐いてたよね。でもこんなふうじゃなかった。もっと軽そうだった覚えがある。症状が進んでるのかな。なんだっけ? タイムトラベルの後遺症だっけ?」
タイムトラベルの後遺症という言葉に、千鶴は息を飲んだ。薫は続ける。
「なるほどね、全て完璧なユートピアを作ろうと時間まで超えたにもかかわらず、肝心の王子様は余命わずかってことか。ああ、そうだ、いいことを思いついたよ! お前はここで殺そうと思っていたけど生かしといた方が……」
薫が楽しそうにそこまで言った時、廊下の向こう側から爆発音がした。一拍遅れて、部屋の中の千鶴にまで伝わってくるような振動。そして爆風。
「何事だ!」
薫が叫ぶ。廊下では慌てたような外国語が飛び交っている。爆風にまかれて薫が体勢を崩したとき、沖田が素早く起き上り床に落ちていた自分の銃を拾った。
薫が気づき、沖田を撃つ。沖田も身をかがめながら撃ち返し、銃撃戦になった。廊下からスーツを着た男たち数人が部屋に入ってくる。
「南雲! 撤退だ。ホテルのエレベーターに爆弾がしかけられていた。すでに非常扉が閉まっている。このままここに残り日本の警察や公安に我々の存在を知られるのはまずい」
「くそっ…! お前か、沖田!」
薫が睨んだ。沖田はすでに千鶴の前に立ち、銃口を薫に向けている。
「行くぞ、南雲! 妹は次の機会だ!」
男たちにせかされて、薫は悔しそうに千鶴を見た。しかしその次に沖田を見て、ふと顔を緩める。
「……まあいいさ、お前も沖田も、そう簡単には殺さないことにした。また会いにいくよ。かわいい妹と次に会える日が、今から楽しみでたまらないよ」
そう言い捨てると、薫は沖田と千鶴に背を向けた。

薫がいなくなったのを確認して、千鶴は沖田の顔を覗き込む。
「沖田さん? だ、大丈夫ですか?」
千鶴が声をかけた途端、沖田は緊張の糸が切れたように膝から崩おれる。
「お、沖田さん!?」
沖田は苦しそうに再び咳き込む。そして先ほどほど大量ではないが、また血を吐いた。
「……!」
千鶴はその血を見て青ざめた。頭の先から冷たいものに覆われるような感覚に襲われる。先ほどの薫の言葉が頭に渦巻いた。

タイムトラベルの後遺症……そういえば沖田さんは最初のタイムトラベルのあとも何度も倒れてた。二度タイムトラベルをした実験用の猿が死んだって……

「お、沖田さん……」
「……どこも、痛くない……?」
青ざめた顔で、でも笑顔を浮かべて、沖田は千鶴にそう尋ねた。ひどく弱弱しい声音だ。
「痛くないです…! 沖田さんが…沖田さんが守ってくれたから……」
「……なら、いいんだ」
「沖田さん!」
ガクリと床に倒れこんだ沖田を、千鶴は必死に支えた。顔色が真っ青だ。

遠くからサイレンの音が聞こえる。
一体何が起こっているのかわからない。
すべては終わって後は平穏な毎日だと思っていたのに、突然さらわれ、生き別れの兄との再会に沖田の血……

まだ終わってなかったの?これから何か始まるの?

始まると言うより転げ落ちていくような未来を感じて千鶴の体は小さく震える。
今の千鶴には、意識を失った沖田を、守るように抱きしめることしかできなかった。

 


4へ続く



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